ブログ「ひと葉日記」

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邪馬台国はどこに

2016年10月27日

 

こんにちは。司法書士の岩永事務所 事務職員石飛です。

 

10月23日は二十四節気の霜降(そうこう)でした。

秋が一段と深まって、朝霜が見られる頃です。朝晩の冷え込みが進み、山は紅葉で鮮やかに彩られる季節となりました。

 

先日、吉野ヶ里公園に出かけました。

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お目当ては特別企画の「よみがえる邪馬台国」展。

魏志倭人伝にかかれている邪馬台国へのルートの途中にある「不弥国」にスポットを当てて、候補とされる福岡各地の遺跡の出土品を展示しています。

 

福岡で暮らしはじめて、金印や吉野ヶ里遺跡、そして板付遺跡など

弥生時代から古墳時代にかけての遺跡や出土品にふれるようになり

それまであまり身近に感じることのなかった邪馬台国に興味を持つようになりました。

もちろん、九州説派です

 

10月10日には特別フォーラムがあり、吉野ヶ里と奈良とをネット中継で結び

「吉野ヶ里VS纒向 対論!邪馬台国」というパネルディスカッションもありました。

 

特別展の会場の方に伺ったのですが

5万戸をようした狗奴国や7万戸あったといわれる邪馬台国が九州にあったはずがないという意見が畿内説の方から出て、白熱した場面もあったとのことでした。

 

学説的には畿内説が優勢で、奈良にある纒向古墳は卑弥呼の墓とされています。

先日も稲部遺跡で、弥生時代末~古墳時代初めの鍛冶工房群や大型建物の遺構が確認され、邪馬台国の時代から大和政権の成立期にかけてこの地域の拠点的な集落だったと推定しているという報道もありますが、

それでも私は九州説を応援します!!

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